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大好評の昔の話第二話も載せます。
凧
川端に猫柳がもえるころになると私等は凧をあげた。私の家の裏でもあげたが、皆なと一緒に揚げねば面白くないので、その時々によって場所は変った。
川藪が風に鳴るほとりの田で、近くの友達と揚げたり、或る時は上町の仲間の処へ加はったりした。上町の仲間が私等のところへ揚げに来ることもあった。
私等のいた新町には藤田といふ凧作りの小父さんがいた。もう年寄だったが毎年雪が解けはじめると軒下に何十枚となく凧を吊るした。その奴凧は楮半紙で貼ってあったので紫の色で刷ってあった。小父さんはよく天気の日などガラス戸の中の仕事場でのんびりと凧の骨を曲げていたが、それが何時の間にか紙が貼られて二十枚も三十枚にもなっていた。私等は毎年それを買った。都会から入って来る色とりどりの凧よりも、特別なやはらかい感触をもつ楮半紙の、しかも紫の木版で刷った藤田の奴凧の方が何となく凧らしくて他のを買う気にはなれなかった。凧を買うときには糸の案配がよくないとうまく揚がらぬので、それを撰るにははしこい[1]兄の目をわづらはした。そうして買って来た凧へ新聞紙を細くきって糊で長くつぎたして足をつくった。この足が長いだけ凧の平衡がよくとれた。
凧揚げの日が来ると兄と私は玩具箱の底をひっくりかえして、去年の糸枠をさがしだした。その糸枠は母がこころ易しい村島の爺ィに作ってもらったものだ。村島の爺ィはこのあたりで有名な腕前の棟領だったが、其頃はもう年をとって箱のような小さいものしか作らなかった。爺ィは特別、揃ひの糸枠を作ってくれた。其の糸枠は軽く、きゃしゃでカラカラと鳴って糸をほどいた。握り手のところを持っていれば、凧は風につれられてぐんぐん糸をほどいていった。巻きつけてある赤や青や黄や白のレース糸が虹の様にほどけてゆく色と音はいまだに忘れることが出来ない。
凧の糸枠兄と鳴らせし日の遠き 雨花
川風が寒く吹きつけるので、そここにある藁塚――私達はのをといった――の影に集まって、暮れてしまふまで凧の高さを競った。眼の前をさへぎる山波に凧は少さくなっていった。そんなときフト西空から夕陽がさしてくると凧の糸は一筋に光り、それが色々の角度をもって入り乱れているのは綺麗だった。凧があまり高くあがると糸が垂れて孤をつくる。すると藁を丸く結んで凧の糸へ通した。凧の糸をぐん‥‥ぐんと伸び縮めに引っ張ると藁は段々糸をつたって登っていった。その高さを又競ったりした。私達は凧の中で寒さも忘れて遊びくらしたものである。
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