2015年5月1日金曜日

タッチペン兼ボールペンのスタイラスC1



携帯に便利で、デジタル・アナログ両方に対応できる商品です。
① 1本で油性ボールペンとタッチペン(静電容量方式用)が使えます。

② 軸にアルミ素材を使用していて軽量(16.9g)、コンパクトな形状で携帯に便利です。

③ 軸にアルミ素材、タッチ部にソフト導電性シリコンゴムを採用。タッチペンの感度が高く、スマートフォンやタブレットをストレスなく操作できます。

④ ボールペンは4C芯を採用のため、中芯交換の際にゼブラの豊富なラインナップから選べます。
(油性インク・ジェルインク・ゼブラ独自のエマルジョンインク)

⑤ 高級感のあるメタリックなデザインと高い機能性に対し、¥410(税込み)という抜群のコストパフォーマンス。
液晶面を汚したくない場合や、タブレットを使用したプレゼンシーン、ゲームなど、さまざまなシーンで便利に活用できます。

スマフォやタブレットの画面に指紋がつくのが嫌な人にお薦めの商品です。

大好評の糟谷篤ニによる昔の話第四話を載せます。

あまのぢやく

 兄と僕はよく[1]母のいふことにそむいた。そうすると「お前らの様なものは()()()()()()といふもんぜと言はれた。「あまのぢやく ちやぁ、何ぢやろうかい」といって又口ごたえをした。そうして母を困らせた。とうとう「お寺にはあまのぢやくが居るから、今度連れていってみせてやるといふことを約束した。三月のまだ寒いころ涅槃さあがあった。僕達はいよいよ()()()()()()を見せて貰うことになったので母についてお寺に行った。すると本堂の壁に襖三枚位の大きな掛図が掛けてあった。それには一面に金泥が塗ってあって古めかしく(いわ)にお釈迦様が寝て居られ、その廻りを大勢の人がとりまいていた。下の方には像や稚子や蛇や数多くの鳥獣が極彩色で怪しく画かれてあった。空には雲がたれ人々の後ろには青い木立と枯れた木が立っていた。そうして左の方は川の波がゆれうごいていた。何か悲しいような厳そかな怪しい気に満ちていた。見ればとりまいている人々は眉をよせ、目に手をあて、衣で顔をおほひどれも泣いている顔ばかりである。たった一人、その中で天をみあげて泣き笑いをしているような人がいた。「そーら、これがあまのぢやくぜ。笑うちよろーがや」と恐る恐る母が指さした。あまのぢやくは笑っている。みんな悲しそうな静かな此の中であまのぢやくだけが天をみあげて笑っている。僕達は何ともいへぬ不思議な気持ちで繪をみ入った。そうしてわけのわからぬ怪しさの中へ引づられた。僕達は母の袖をひいて小声でそのわけを尋ねた。「お釈迦さまが死にんさったのでお弟子や鳥やけものがみんな悲しんで泣いて居るのに、あの()()()()()()だけたった一人笑ふちょろーがや。人がああいへばこう言ひ、こう言へばああゆうて反(タイ)するのがあまのぢやくちゆうものいや」と言った。
大きい口を開けて思ふ存分笑ふている()()()()()()が、川も木も泣いているような静かな静かなこの繪を一層静かに淋しくしているようにみえた。死なれたお釈迦さんはどうなったのか。泣いている人々はどうするんだろうかと怪しくゆらめく金泥の繪がこの世ならぬ不思議な世界へ僕達を連れていった。
その不思議な繪は毎年春になると掛けられるといふことだった。竹藪がゆさゆさとおほひかぶさっているこのお寺はあまり行ってしたしむ程のものはなかったが春になるとあの絵のことを思い出した。


[1] 糟谷(とし)のこと。旧姓河野敏。一男の妻。

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